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経済不況と職業生活の因果関係

ボンバースタジオ生誕25年記念企画その10
「僕ら私たちの平成時代(は)」
経済不況と職業生活の因果関係

平成最終日まで「あと02日」
※2019年04月29日現在

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【写真3】
朝日新聞社企画「ロストジェネレーション」
(2019年04月28日01時12分撮影)

「1994年10月…」
とある新聞で目にした記事がありました。

「大学生活を漠然と過ごしてきたんだね」
1972年生まれの現役大学四年生の女子大生のことでした。

「女性は無理せず大手企業に数年勤め適当な男性と結婚したらいい」と女子大生の両親からアドバイスがあったことでした。実際、当時の女子大生が大手企業に応募したら大勢の団塊ジュニア世代の人々があぶれました。そして、なんと書類選考、その上男子学生のみ募集要項を送ることの女性差別がありました。その女子大生が、何とか大手企業の面接にこぎつけましたが、「残業する意欲があるか」の質問攻めで答えられず不採用となりました。バブル時代に踊ってきた「職場の花」は既に死語となりました。
(1994年10月当時の新聞記事による)

当時の管理人代表の私は大学二年生でした。経営学部に在籍しながら社会面に関心を持っていました。夜間に大学へ通う分、余暇があったため新聞記事を読んでいました。大手商社から「女性の事務職はニーズがない」との発言があったため、ここから就職活動が厳しくなったことを実感しました。他人からは、まだ気づいていないせいか「まともな職についていない」の意見が多々ありました。就職氷河期の言葉すらまだありません。大学三年生になった管理人代表の私は、就職氷河期の雰囲気はありませんでした。マイクロソフト社さんが1995年11月23日に発売されたパソコンOS「Windows95」が首都圏を中心に普及しました。そしてインターネット開通が実現できました。しかしながら、電話回線でのインターネットのため最寄りのアクセスポイントが地方都市に存在していませんでした。

管理人代表が大学を卒業したのは1997年03月で「平成09年」でした。東京から山口県へ移転してから就職の厳しさはまだ実感していませんでした。バブル崩壊から数年が経過しても「痛み」すら感じでいませんでした。自覚症状がないまま2000年へ突入しました。

2001年04月から小泉純一郎さんが内閣総理大臣に就任しました。そこから「郵便局の民営化」と「自民党をぶっ壊す」の発言による小泉劇場の幕開けとなりました。ウェブサイト開局は02カ月後でした。

2001年03月の大学卒業生の就職率は60パーセントを切りました。「就職超超氷河期」で、高卒採用の正社員を横取りする手法を選択せざるを得ない状態でした。高校卒業後「派遣社員」として勤務する若者たちが増加していました。2004年には、製造業の派遣業務が解禁されました。そこから朝日新聞社さんの取材で目にした非正規労働者の悲惨さを伝達したきっかけで「ロストジェネレーション」を取り上げられることになりました。2007年の新年から開始したことで「気分が悪い」と感じられた就職氷河期世代の両親が多数存在しました。

高度成長期で就職してからバブル崩壊まで定年退職した団塊世代と戦時中世代は、かなり高額な退職金に年金があったため、就職氷河期世代が就職できなくても「人を養う実力」がありました。前者が「プラス」であれば後者が「マイナス」の文章から読み取ると「尻の帳消し」が成立してしまいます。冷たい言い方をすれば、少年時代に恵まれた環境に育った団塊ジュニア世代は、大人になってから過酷な労働環境で体調不良になっても「尻の帳消し」が成立するのです。山口県でいえば、旧山口県徳山市徳山駅が一時期裕福な街として栄えていましたが、2000年代に突入してから山口県周南市徳山駅周辺が衰退して、2010年代に突入してから百貨店や映画館が閉館される始末となりました。

管理人代表の私は、映画情報ではなくアニメ情報でウェブサイトを運営していました。もし映画情報でウェブサイトを運営していたら「大変なる失敗」で平成時代終了を迎えていました。その時「社会のせい」と叫んでいたところでした。アニメ情報でも「朝夕アニメ」と「深夜アニメ」の違いを理解する必要があります。理解できていなければ「そこで終了」です。


ボンバースタジオ生誕25年記念企画その10
「僕ら私たちの平成時代(に)」へ続く