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周南合併活動時にお留守となった管理人代表

周南合併活動時にお留守となった管理人代表

ボンバースタジオ生誕25年記念企画その3
「周南合併活動時にお留守となった管理人代表」

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【写真1】
周南合併History
(2019年01月16日20時55分撮影)
(C)周南中核都市づくり協議会1999
内容は地域の過去の合併から紐を解いています
当時の青年会議所の若者たちも周南地域を行脚していました

ボンバースタジオ生誕25年記念企画でその1から登場した「周南合併」ですが、管理人代表も旧山口県新南陽市民の一人者として、実は1980年代にも話題があったことが周南中核都市づくり協議会による「周南合併History」の文章で判明しました。周南市民にもパンフレットをお持ちであれば読み返して見て下さい。

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【写真2】
最新ソフトビッグ情報
(2019年01月16日21時00分撮影)
(C)小学館コロコロコミック」1987年版月刊
本来なら捨てられる雑誌に貴重な1枚が保存されていました
管理人代表の中学生時代による出来事です
ちなみに1987年は「昭和62年」です

1980年中盤は、管理人代表は当時中学生でした。中学生の管理人代表は、周南合併のことは全く知りません。もし、周南合併の問題提起を中学生で執行したら「出しゃばりだ!」と大人たちに反感を買います。要は「先輩たちの力で周南合併を実現したい」。多くの市議会や周南地域の商工会議所と関係者による実現の目標があったと思います。「人口30万都市」「大都市」「山口県のリーダー」の記事が踊っていたことも当時の管理人代表は全く知る由もありませんでした。

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【写真3】
JR山陽新幹線徳山駅
(2012年03月16日13時17分撮影)
山口県の新幹線駅では「まともな停車駅」です
市役所が存在しても県庁が存在しなければ新幹線駅が存在しても意味がありません
県庁が存在しない都市に新幹線が素通りするのが当たり前の姿です

1990年代前半は、周南合併が盛んに行われていました。特に旧山口県徳山市が目立っていました。徳山藩が山口藩に統合されてから劣等感が感じられた過去があったと思います。山口県庁は「山口市」、旧徳山市は新幹線がある分優位に立つと思いますが、県庁が存在しないため不利な立場にありました。

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【写真4】
千葉県コンベンションセンター
幕張メッセ
(2012年03月16日13時17分撮影)
周南合併が盛り上がった最中に首都圏では多大なるイベントが開催していました
当時の管理人代表は東京在住でしたので力を貸すことが出来ませんでした

1993年から1995年までに今まで盛り上がっていた「周南合併」は下火になったとパンフレットに記載されていました。周南合併は「旧山口県新南陽市の消極的」が元凶でした。管理人代表の当時は東京都文京区白山4丁目のアパートに在住していました。それが周南合併活動時にお留守となった管理人代表です。管理人代表が山口県に来ても大学生活の夏休みは無限大にあるわけではないからです。大学のことを考えていなかければならない立場でしたから、周南合併に面倒を見るわけにはいかなかったのです。

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【写真5】
徳山駅前の商店街にある
センバツ出場ポスター」
(2016年03月26日14時12分撮影)
周南合併することは旧山口県徳山市の「徳山高校」と旧山口県新南陽市の「南陽工業高校」が同じ都市の仲間入りになることを意味します
ブログ等でオピニオンリーダーでもない方が「徳山高校が一番」と発言しても何の説得力もありません
エヴァンゲリオンでも高校サッカー全国出場「宇部高校」の紹介で関係者の出身校であることのセールストークが加味されていました
ノーベル医学生理学賞を受賞した本庶 佑(ほんじょ たすく)さんも「宇部高校」出身です

現在では山口県周南市になって「徳山市」が消滅しましたが、理由があると思います。広島東洋カープ炎のストッパーと呼ばれた津田恒実投手が旧山口県新南陽市にあります南陽工業高校のピッチャーとして阪神甲子園球場で活躍し、全国にとどろかせた実績が効いていると思います。徳山高校も1987年「昭和62年」の夏に甲子園出場を果たしましたが、逆転されて敗退しました。南陽工業高校は1978年「昭和53年」に春夏連続出場を果たしました。現在の周南市野球場も「津田恒実メモリアルスタジアム」に名称変更されています。ですから周南合併する時にそのまま「徳山市」で2市2町合併することが難しかったと受け取れます。

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【写真6】
国体に合わせリニューアルされた
周南市野球場(旧徳山市野球場)」
(2011年10月02日14時47分撮影)
徳山市野球場は手書掲示板が主流でした
国体開催から電光掲示板の切り替わりました

山口県のその他地域の合併はそれぞれ「岩国市」「山口市」「下関市」「美祢市」「長門市」「萩市」等そのままの都市名で採用されました。「旧徳山市がなぜ「周南市」なのか?」の疑問符があります。特に徳山高校出身者は、合併都市名「周南市」に対して、納得がいかなかったようです。南陽工業高校出身者は「周南市」に対して納得がいく立場でした。しかしながら、周南市内の私学出身者は、ほとんど関心はありません。

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【写真7】
無人化駅「戸田駅前」に開催された
「西徳山いけいけフェスタ」
(2011年10月09日13時07分撮影)
1997年から開催されました「西徳山いけいけフェスタ」は旧山口県徳山市でした
2003年から山口県周南市に変更されましたが当面開催を続けていました
ソレーネ周南が開業してから「西徳山いけいけフェスタ」は廃止されました
隣の山口県防府市主催によるフリーマーケット開催は現在でも継続されているのにこれではね…
「周南地域と下松地域はほとんど長続きしないのね」
ブームだけでは将来やっていけません

現在の山口県周南市は、ほとんど知られておらず、猫にちなみ「しゅうニャン市」企画を立てて全国PRを敢行していました。まるで少年少女漫画総合版「マンガコーナー」から「エムシーネット」に変更されているのと同じです。アドレスも変更されますから以前稼げたアクセス数が大幅に減少されることは当然です。名前変更は、ゼロからスタートする必要があり、理解して頂くのに時間とコストがかかります。

管理人代表の結論
「時間とタイミングが悪かったのです」
周南地域と下松地域の上の世代がしっかりしてこなかったから当時の団塊ジュニア世代の若者たちが都会に出ていき地元へ帰ってこないのです
いわゆる一つの「都会への出稼ぎ」です